2019年3月22日金曜日

ワシントンの桜とウイスキー

久しぶりの更新です。
ウイスキーは相変わらず飲んでいて、ネタは書き起こしているものの、まとめてない状況です。飲んで調べて点数付けて…みたいな今の形から、また別の何かが出来ないかなぁと漫然と考えつつ、気が付いたら日が立っていました(^^;

さて、話は変わりまして、ついに桜のシーズンが到来しましたね。
桜と言えば、米国のワシントンにも桜があるのですが、これがウイスキーと少しだけ関係がある事をご存知でしょうか。今日はそんな調べ物を一つ。


以前にも書いた話ではあるのですが、明治時代に日本人の発明家で高峰譲吉という博士がいました。現在の第一三共の元となる三共の創設者であり、当時巨万の富を得た稀代のビジネスマンでもある人です。高峰氏については以下の記事にまとめた通りです。

高峰譲吉とジョセフ・グリーンハット

記事に載せたように、高峰博士が当時米国に行った理由はウイスキートラスト社から招聘され、麹を用いた醸造による新しいウイスキー作成に関する研究をする為でした。ウイスキートラスト社は解散されたものの高峰博士はその後も研究を続け、タカジアスターゼやアドレナリンなどの発見、そして製品化による事業の成功により、米国での実業界や社交界において幅広い信頼を得ていました。

1905年の日露戦争の平和交渉の折にはアメリカが仲介役になりましたが、その時に裏で日本を支え、米国の日本支持を受け入れる要になったのも高峰博士の功績として挙げられます。このように、日本と米国との親善の架け橋として高峰博士は活動されていました。

そんな高峰博士の活動ですが、ここで一旦ワシントンの桜に話を戻しましょう。
1906年頃、日本の桜の美しさに心を打たれた植物学者のフェアチャイルド博士や友人のマーラット博士などが米国に植樹を試みます。植樹は成功し、博士の庭に咲いた美しい桜の下でお茶会が開かれました。その場に参加した作家のエリザ・シドモアは米国大統領のタフト夫人にワシントンのポトマック川沿いに日本の桜を植樹する事を提案し、1909年にはシドモア女史は米国での桜の植樹の為に募金活動などを行っていました。

高峰博士がアメリカに桜を植えようという話を聞いたのはこの頃のようです。
大統領夫人がポトマック河畔に桜を植えようとしているといった活動を知った高峰博士は、当時の東京市長に書簡を送り、米国における桜の植樹が実現されたという流れです。

一度は害虫などの影響で計画は失敗しましたが、害虫対策などを行った結果、1912年の3月に、桜の苗木は無事にワシントンに着き、今でも美しい桜を咲かせ続けています。


このように、日米親善の為に活動していた高峰博士がワシントンの桜を支援していた事もまた、高峰博士の功績として語られている所なんですよね。高峰博士が醸造に関する論文を発表せず、ウイスキートラスト社から招聘されなかったら、もしかしたらワシントンの桜は無かったかも?等と思うと、ワシントンの桜とウイスキーの関係は中々に感慨深いものがありますね。




高峰譲吉博士①ワシントンのさくら
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11769823496.html
100年前、米国に桜をもたらした3人の米国人 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト 
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/032400107/


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