2017年3月20日月曜日

高峰譲吉とジョセフ・グリーンハット

ウィスキーの歴史の中において、1人の日本人の化学者が革命を起こそうとしていた…と言った話を聞けば、ウィスキーが好きな人ならきっと興味を持つことだろうと思います。今日はそんな調べ物をつらつらと・・・('ー'

その日本人の名前は高峰譲吉。
明治時代の化学者であり、アドレナリンやタカジアスターゼの発明者でもあります。現在の第一三共の元会社である三共を設立して、研究開発型のベンチャー企業として当時、巨万の富を得た稀代のビジネスマンでもある人物。


そんな高峰氏ですが、若い頃から非常に優秀な人物で、27歳の時、明治13年にイギリスに留学。グラスゴー大学とアンダーソン大学(現ストラスクライド大学)において工業化学と電気化学を修得。暇を見ては様々な化学工場を訪れ、様々な製品の製造プロセスを学んでいったのだそう。
そんな折、現地でウィスキーの製造工程を知り、モルトから糖分を分解させる糖化の行程を日本酒の麹で代用すれば効率的にアルコールを製造できる…という訳で「高峰式元麹改良法」と呼ばれる方法を考案。帰国後、論文として各国に向けて発表しました。

それに目を付けたのが、当時アメリカでのウィスキーで財を築いていたウィスキートラスト社のジョセフ・グリーンハットでした。1891年(明治24年)、グリーンハットは、高峰氏を米国に招聘。両者の間で高峰式元麹改良法を用いたウィスキー生産に関する合意がなされます。

1891年2月20日のシカゴ・デイリー・トリビューン紙において、「高峰氏の新しい製造プロセスでコストは12~15%は下がる見込み」と報じられ、同年9月の同紙において「高峰式の実験を元にした機械をマンハッタンの蒸留所に設置する」といった報道がなされます。

高峰氏のアイデアは順調に行っていたかに見えました。しかし、そういった状況に焦りを感じていた人達もいました。所謂モルトスターと呼ばれる職業人達です。この機械が成功すれば、モルト工場で働く自分たちは仕事を失う事になる。同様にモルト工場に対する投資資金が回収できなくなる恐れがある醸造所のオーナー達も強く反対していました。

そして同年10月、高峰氏を暗殺しようと数名が研究所兼蒸留所に侵入。侵入者を察知した高峰氏は地下室に隠れて難を逃れますが、侵入者たちはマンハッタン蒸留所に火を放って逃走、施設は焼失してしまいました。

しかしそういったトラブルを乗り越え、高峰氏は高峰式元麹改良法の基礎になるタカジアスターゼの製造における重要な特許を得、1894年5月、改めてウィスキートラスト社との間に年間150万ドルの契約を締結するに至ります。

ところが、この契約も数ヶ月で立ち消える事に。
ウィスキートラスト社はライバル会社達から訴えられ、高峰氏との契約も解除。同社は翌年1895年に解散となりました。こうして、高峰氏のウィスキー製造に対する夢は立ち消えてしまったという訳です。


・・・と、相変わらず少し長いのですが、ネットで調べたらこういった経緯があったのだそうです。めまぐるしい変化の時代だったんでしょうね。ただ、この話を知って面白いなーと思ったものの、いくつか気になった事があります。

一つは高峰氏の暗殺未遂事件について。
日本語のサイトではいずれも暗殺未遂事件について触れられていましたが、海外のサイトでは火事については書かれていたのですが、暗殺未遂に関しては記載が無く、この点は実際にあったかどうかよく分かりませんでした。まぁ、当時は人種差別がまだまだ根強い時代でしょうから日本人の暗殺事件の一つや二つ、あってもおかしくない時代だとは思いますけど。

二つ目は、モルトスター達が反感を持つのは分かりますが、会社のオーナーであるグリーンハットと醸造所のオーナー、両者の利害が対立している点。会社と醸造所でオーナーが異なり、利害が対立するなんてどうして起きているんでしょうか。

三つ目、最後にウィスキートラスト社の解散に関する話も気になりました。
高峰氏の話をネットで調べると、上記に書いたように「高峰氏の夢はウィスキートラスト社つぶしに巻き込まれて潰えてしまった」といったような書き方をされている所も見受けられます。

しかし、この件について調べてみると、ウィスキートラスト社が違反した法律はSherman Antitrust Act、シャーマン反トラスト法と呼ばれる、独占禁止法の走りになるような法律でした。

シャーマン反トラスト法は、トラスト(市場独占の為の企業合同体)を禁止して健全な市場形成を促すための法律です。そんな法律に引っかかる会社に招聘されてたって、高峰さん一体どうなってんすか…('A`;)


とまぁ、そんな訳で色々と気になる点があったので、もう少し掘り下げて調べてみました。ざっとですが以下はウィスキートラスト社と社長のジョセフ・グリーンハットについてです。


ジョセフ・ベネディクト・グリーンハットは19世紀アメリカにおいて最も成功したウィスキー蒸留者の一人です。しかし、オールドクロウやジャックダニエルなどとは異なり、現在において酒やメーカーとして名前は残っていない、ウィスキーの歴史の闇の中に消えてしまった人物の一人のようです。


1843年2月28日、オーストリア生まれ。9歳の時にシカゴへ移り、銅細工職人として従事。南北戦争において武勲を上げ、その際に腕を負傷し失ったものの、戦後シカゴからピオリアへ移る。

ピオリアはシカゴの西にある都市で、現在ではあまり知られていませんが当時では全米一のウィスキー生産地でした。その町でグリーンハットはグレート・ウェスタン・ディスティラリー社を設立。書籍によると彼の蒸留所は「(トーマス)ジェファーソンが肩入れしそうな農業主体の蒸留所とはまるで正反対の、隅々まで管理の目が行き届いた、来るべき企業時代の現実的な先駆けとなる蒸留所だった」という事。

ピオリアマガジンの記事で当時、街にあった蒸留所らしき写真が残っていましたが…


完全に工場ですね(^q^
ノワーズミルのラベルなどに書かれているような「田舎の素朴で小さな蒸留所」といったイメージとは大きくかけ離れています。

そんな近代的な蒸留所を手掛けつつも、グリーンハットは全米65の蒸留所と80近くのアルコール生成工場を囲い込んで、1887年5月にウィスキー・トラストを結成。

トラストのベースになったのは、米国で石油大富豪として有名なロックフェラー家の始祖、ジョン・ロックフェラーが作ったスタンダード・オイル・トラストをそっくり真似たものでした。これはある会社が別の会社の株式を所有する事を禁じている州法を巧みに回避し、実質的にスタンダード・オイル社が別の会社を所有する形を作り出す方法でした。当時はまだトラストを禁止する法律が無かったんですね。

トラストに加われば信託証書が渡され、蒸留所のオーナーは実質的な経営権をウィスキートラスト社に渡す事になるものの、定期的に多額の配当金を受け取れる仕組みです。

最初はそうやって甘い勧誘でトラストに誘う訳ですが、蒸留所が誘いに乗らない場合、ウィスキートラスト社は市場をコントロールし、蒸留所のある地域のウィスキーの価格を大幅に下落させるように働きかけます。こうなると中小蒸留所はトラストに加わるか廃業するしかありません。それでも誘いに乗らない蒸留所に対しては、法律度外視の強硬手段が取られる事もあったそうです。

そうして経営権を握ったウィスキートラスト社は、自社の利益を最大化させるために動きました。その結果、傘下に入った多くの個性的な味わいのウィスキーを造る蒸留所が意図的に潰されたと言われています。

一方で、ウィスキートラスト社のトラストに組み込まれない類の業者もいました。上質な蒸留酒を作る会社、ストレート・バーボンの生産者などです。そういった人達は露骨にトラストから締め出しを食らっていたと言われています。

そういった業者達は、自分たちの会社を守るために自分たちでトラストを結成し、ウィスキートラスト社に対抗しようとしますが、規模の面で圧倒的に不利な状況だったそうです。


そんなウィスキートラスト社の、手段を問わない方法でトラストを巨大化していった結果、1894年までに全米のアルコール生産量の80%をウィスキートラスト社が独占する状況になっていました。

そうやって肥大化していたウィスキートラスト社が、さらなる事業効率化の為に目を向けたのが、高峰博士の研究だった訳ですね。

その後、反トラストのムーブメントが急激に大きくなり、ウィスキートラスト社の問題が明るみになったため、1890年に制定されていたシャーマン反トラスト法が適用され同社は1895年に解散されました。


こうやってまとめてみると、ウィスキートラスト社が潰されたというよりは、ウィスキートラスト社が潰そうとした相手からしっぺ返しを食らったといった話でしょうか。

しかも、グリーンハットの目指す方向性は、徹底的に工業化・商業化したウィスキーで、品質よりも自身の利益優先だった事は明らかです。自社の管理下にある醸造所のオーナーや従業員であるはずのモルトスター達の利益でさえも考えず、自分の利益だけを最大限に追求する・・・、高峰氏が妨害されたのも当然でしょうね。仮にウィスキートラスト社が今でも続いていれば、もっと機械化が進んだ無機質なバーボンばかり、という事になっていたのかもしれませんね。
(まぁ、今でも十分に工業化されていますけど…)








・Jokichi Takamine (1854-1922) and Caroline Hitch Takamine (1866-1954): Biography and Bibliography
http://www.soyinfocenter.com/books/155

・When Peoria Tried to Monopolize Whiskey
http://www.peoriamagazines.com/ibi/2016/feb/when-peoria-tried-monopolize-whiskey

・The Distillers' and Cattle Feeders' Trust, 1887-1895
https://www.jstor.org/stable/40189204?seq=1#page_scan_tab_contents

・Whiskey Trust(ドイツ語。英文のWikiが何故か無い…)
https://de.wikipedia.org/wiki/Whiskey_Trust

・公開講座:独占禁止法(日本語)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/fukito/OCmonopoly.pdf

・バーボンの歴史(書籍)

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